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志摩半島・英虞湾で進む、里海の再生とブルーカーボン事業の取組み

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三重県志摩半島の南部に広がる英虞湾(あごわん)は、日本三大リアス海岸のひとつ。大小60余りの島々が点在する内湾で、真珠養殖業発祥の地としても知られている。そんな英虞湾で今、里山ならぬ、“里海”を再生する取組みが進んでいる。“里海”とは、その土地の人々が暮らしに利用してきた沿岸海域のこと。陸と海をひとつの環境として捉える視点でもあり、この視点を大切にしながら、かつての海の生態系を取り戻そうとしている。目指すのは単に美しい海ではなく、多様な生態系を育む、真の意味で「豊かな海」。長年の活動に込めた想いを詳しく聞いた。

INDEX

小さな波が引いては寄せる、どこまでも穏やかな海。その特性から、英虞湾にはアマモをはじめとする海草や海藻などが豊かに育ち、“海の森”として多様な生態系を育んできた。海草や海藻が繁る海域は「藻場」と呼ばれ、小魚の住処となったり、海の生き物たちの産卵場所となったりする。さらに、海中の窒素やリンなどを吸収し、海の水質を改善する働きや、光合成によって大気中や海水中のCO2を吸収する役割もある。まさに陸地における森のような重要な存在なのだ。

この藻場が今、日本各地の海で失われつつある。原因は多岐にわたるが、主要なもののひとつが地球温暖化だ。
「英虞湾でも藻場が失われる“磯焼け”と呼ばれる現象が起きています」と話してくれたのは、志摩市水産農林部水産課の石熊喬さん。海水温の上昇によって、なぜ海草や海藻が失われてしまうのか、詳しく教えてくれた。
「海水の温度が高くなることで、直接的に海草や海藻が育たなくなるわけではないんです。もちろん、暖かい海が成長に適していないという側面もあるのですが、より深刻なのは、海水温の上昇によって、海草や海藻をエサとする魚やウニ類の活動が活発になってしまうことです。近年では、植食性魚類のアイゴやガンガゼと呼ばれるウニの一種が急増し、藻場を食い尽くしてしまっています」
これによって、海中の風景は一変。海草や海藻がゆらゆらと揺れていた緑豊かな海底は失われ、岩肌が露出した海底がどこまでも続いているという。

健やかに育った海草や海藻。小さな海の生き物の生息場であり、水質改善やCO2吸収などの役割も担う。こうした藻場が十分あることで、海の生態系は健全に保たれる。写真提供/三重県水産研究所

健やかに育った海草や海藻。小さな海の生き物の生息場であり、水質改善やCO2吸収などの役割も担う。こうした藻場が十分あることで、海の生態系は健全に保たれる。写真提供/三重県水産研究所

藻場が失われた「磯焼け」と呼ばれる状態。海水温上昇によって海草や海藻をエサとする魚やウニ類が活動を活発にし、藻場が食い尽くされてしまった。英虞湾だけでなく、各地の海で問題視されている。写真提供/三重県水産研究所

藻場が失われた「磯焼け」と呼ばれる状態。海水温上昇によって海草や海藻をエサとする魚やウニ類が活動を活発にし、藻場が食い尽くされてしまった。英虞湾だけでなく、各地の海で問題視されている。写真提供/三重県水産研究所

行政と市民が共に始めた、里海再生プロジェクト

こうした状況を変えるために志摩市ではさまざまな取組みが進んでいる。そのひとつが、2011年に誕生した「里海推進室」だ。水質の改善やアマモの播種(種まき)のほか、干潟の再生にも力を入れてきた。干潟とは干潮時に海水が引き、陸地のようになる浅い海域のこと。干潟を蘇らせることが、海中の藻場にどう影響するのだろうか?
「英虞湾では江戸時代以降、干潟の70%が水田干拓によって消失しました。内湾に水門が設けられ、水を抜かれた干潟が遊休地となってしまったのです。この遊休地を再び干潟に戻そうというのが近年の取組み。水門を開放し、遊休地に海水を引き入れて、干潟として再生させています。干潟は陸と海を繋ぐ、緩衝地帯のような役割があるエリア。土壌の養分が干潟の海水に滲み出ることで、その先に広がる海へも、自然と養分が流れ出ていく。陸から届いた養分によって、海草や海藻をはじめとする海中のさまざまな生物が育ちやすくなるのです」
取組みの効果は、環境省との連携でモニタリングされており、三重県で絶滅危惧種に指定されているドロアワモチやシイノミミミガイといった希少な生物も確認されるようになったという。

海と共存する、これからの真珠養殖

こうした英虞湾の環境問題を考えるうえで欠かせないのが、この地で誕生した真珠養殖との共存だ。1893年に実業家の御木本幸吉が半円真珠の養殖に成功。以降、英虞湾では真珠養殖が地域の経済を支える一大産業として発展してきた。しかし、養殖筏の過密化や真珠を育むアコヤガイの排泄物が海底に堆積してしまったことなど、さまざまな要因によって英虞湾の水質が悪化してしまったことも事実。そうした反省を踏まえ、英虞湾の真珠養殖業者は海と共存する産業のあり方を長年、模索してきた。現在は、養殖筏の配置や間隔の工夫や養殖排水の処理技術の向上などで、状況は改善。近年では資源の有効活用も進んでいる。そのひとつとして注目されているのがパールコンポストだ。
「真珠を取り出した後のアコヤガイは、貝殻と貝柱、貝肉に解体されます。貝殻はボタンに、貝柱は食用になるのですが、貝肉はこれまで活用先があまりなく、多くはそのまま海へ捨てられていました。ですが、この貝肉も貴重な資源。活用して堆肥(コンポスト)にするプロジェクトが始まっています」と石熊さん。
堆肥化された貝肉は地元の農家や地域の公園などで活用されている。海の恵みが、陸の恵みへと循環していく新たな仕組みだ。

アコヤガイに抱かれて育つ真珠。英虞湾は夏と冬の寒暖差がしっかりとあり、特に冬の低水温期に真珠層がゆっくりと形成されることで、光沢や巻きの厚みが増し、より美しい真珠が育つとされている。写真提供/志摩市

アコヤガイに抱かれて育つ真珠。英虞湾は夏と冬の寒暖差がしっかりとあり、特に冬の低水温期に真珠層がゆっくりと形成されることで、光沢や巻きの厚みが増し、より美しい真珠が育つとされている。写真提供/志摩市

英虞湾は元々、天然真珠の産地だった。明治時代半ばに真珠養殖の基礎が確立されると、地域を代表する産業として急成長。内湾に養殖筏が浮かぶ様は、志摩の原風景となっている。写真提供/志摩市

英虞湾は元々、天然真珠の産地だった。明治時代半ばに真珠養殖の基礎が確立されると、地域を代表する産業として急成長。内湾に養殖筏が浮かぶ様は、志摩の原風景となっている。写真提供/志摩市

パールコンポストの製造風景。細かく粉砕した貝肉に米糠と籾殻を入れ、数ヵ月かけて堆肥化する。真珠養殖産業におけるゼロエミッション(産業活動によって生まれる廃棄物などを限りなくゼロにする取組み)を実現するためで、環境負荷の少ないエシカルな真珠を求める時代の声が反映されている。写真提供/志摩市

パールコンポストの製造風景。細かく粉砕した貝肉に米糠と籾殻を入れ、数ヵ月かけて堆肥化する。真珠養殖産業におけるゼロエミッション(産業活動によって生まれる廃棄物などを限りなくゼロにする取組み)を実現するためで、環境負荷の少ないエシカルな真珠を求める時代の声が反映されている。写真提供/志摩市

藻場が生み出すブルーカーボンの新事業

さらに志摩市では、藻場によるブルーカーボン事業もスタートしている。ブルーカーボンとは、海の生態系が吸収・固定する炭素のこと。「英虞湾では、環境配慮型のあおさのり養殖が始まっていて、ブルーカーボンのクレジット化を実現しました」と石熊さん。あおさのり養殖では、魚や鳥にのりを食べられないようにすることが重要。養殖網の周囲に防護ネットを張り、魚や鳥の侵入を防ぐことで生産量を維持し、その維持された量に対して、クレジットが発行されている。こうしたブルーカーボン事業が本格化していけば、漁業を支える新たな柱にもなり得る。つまり、藻場再生のメリットがひとつ増えることになるのだ。
「現在は、クレジット発行によって生まれた資金を防護ネットの維持やあおさのりのPR事業に活用しています。より大きなプロジェクトに育っていけば、漁業に携わる人々にとってもより重要な取組みになるはずです」
また志摩市では、太平洋側の外海でも藻場再生プロジェクトを進めている。外海では藻場の減少によって、アワビやサザエ、伊勢海老などの漁獲量が減少。アワビに至っては、この20年で漁獲量が30分の1にまで減ってしまった。こうした状況の改善にも、長年、英虞湾で培ってきたノウハウが生かされている。

藻場のある豊かな海。CO2は水に溶けやすい性質があり、加えて海は陸よりも圧倒的に面積が広いことからCO2吸収量が多い。これらの理由からブルーカーボンは、地球温暖化を食い止める策として世界的に注目されている。写真提供/三重県水産研究所

藻場のある豊かな海。CO2は水に溶けやすい性質があり、加えて海は陸よりも圧倒的に面積が広いことからCO2吸収量が多い。これらの理由からブルーカーボンは、地球温暖化を食い止める策として世界的に注目されている。写真提供/三重県水産研究所

「志摩の豊かな食も、美しい風景も、健全な海があってこそ。ここで暮らす人々はそのことを肌感覚として知っています」と石熊さんは話す。だからこそ、行政と市民が一体となり、同じ目標に向かって進んでいけるのだろう。
地域産業と自然との共存を模索し続けてきた英虞湾。志摩市の藻場再生の取組みは、日本各地の海が直面している問題に多くのヒントを与えてくれる。

内田有佳
編集者・ライター。雑誌、書籍、Webを中心に、ライフスタイルをテーマとした企画・編集・執筆を行う。アートブックの制作にも関わり、編集を担当した図録に『いわさきちひろ生誕100年 Life Chihiro Iwasaki 100』(ちひろ美術館・東京)がある。

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Photo:City, Mie Prefecture Fisheries Research Institute  Text:Yuka Uchida 

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